『島の野菜を守り、子どもたちに野菜のおいしさを届けたい』
農家 楠田 哲さん(奄美市笠利町)
奄美大島の笠利地域で無農薬の野菜を育てるくすだファーム。現在の代表、楠田哲(くすだ・さとる)さんは7代目になります。くすだファームの野菜を使う島内のレストランも多いほか、個人ファンも多い人気の農園です。
真っ黒に焼け、屈託のない笑顔が似合う楠田哲さん。農家を継ぐきっかけや野菜作りに込める思いをお話いただきました。
はじめは農業なんてやりたくなかった
楠田哲さんは1968年生まれ。楠田家の三男として生まれました。父親はくすだファームの6代目だったので、誰かが父親の後を継ぐのだろうと思っていました。しかし、いつの間にか兄は就職。
残るは哲さんだけでしたが、哲さんも農家を継ぐつもりはありませんでした。当時、島の農業と言えば、中心はさとうきび栽培。くすだファームでもさとうきびを栽培していて、哲さんも子どものころから手伝いするのが当たり前でした。しかし機械化もされず、重労働でしんどそうな父の姿を見ると農家になりたいとはとても思えなかった、と言います。
高校卒業が近くなり、進路を決めないといけませんでしたが、仕事はしたくない。大学にも行きたくない。
特にやりたいことはなかったが、農業大学に行くなら親は金を出してくれるだろうと考え、鹿児島の農業大学に進みました。逃げる口実で大学に通ったようなものでした。
気持ちが変わったのは、アメリカで農業研修をしていたときでした。3年間のアメリカでの農業研修。広い畑を、オーバーオールを着た大柄な男たちがトラクターに乗って耕していくイメージが浮かびます。
しかし、現実はまったく違いました。楠田さんが担当したのは労働者の監視役。安い賃金で働かされる移民労働者たちがサボらずに働いているかを監視する仕事でした。
過酷なアメリカ農業の闇を見たようでしたが、たまたま近くにオーガニック野菜を育てている農家がありました。もともと持続可能で循環型の農業を目指すパーマカルチャーに興味があった哲さん。隣の農家に足繁く通い、取り組みを勉強しました。
その農家の働きが、哲さんの農業の考え方を変えてくれました。
「百姓ってかっこいいなと思えた。」と哲さんは話します。
メロンから始めた島での農業
島に帰って農業を始めたのは1991年、25歳のとき。最初はメロンを育てました。当時、奄美大島にはレベルの高いメロン農家がたくさんありました。アールスメロンという品種を、水管理と温度管理をしっかり行い、高品質のメロンを育てる農家がたくさんありました。周りに習い、哲さんも年間7,000〜8,000個のメロンを作っていました。
メロンの次はトマトを育てました。メロンとトマトは相性が良く、メロンを育てたあとの土壌はトマトにとって好条件でした。12月にメロンを収穫した後にトマトの苗を植える。そうやって徐々に育てる品種を増やしていきました。
哲さんがいま手掛けている作目は常時20品種ほど。すべて無農薬です。
多くの品種を育てることは、それぞれの作物の栽培について熟知することが必要なので、豊富な知識と不測の事態にも対応できる確かなスキルが必要です。また限られた圃場内で適切な組み合わせでの栽培管理などもあり、簡単なことではありません。
しかし作目を多様化させることで、リスクマネージメントや顧客であるレストランやカフェなどの多用なニーズに応えることができるなどメリットも多数。少しずつ培ってきた哲さんの技術と情熱が、いまのくすだファームの形態を作ってきました。
たった一度だけ農業を辞めようかと思った
島の農業は台風の影響を大きく受けます。台風が直撃して大打撃を受けることもありましたが、30年近く続けてきました。
辞めようと思ったことはないんですか?
哲さんに聞くと、
「一度だけ本気で辞めようと思ったことがあった。」
ミカンコミバエの影響があったときです。ミカンコミバエは、果実や野菜類に直接被害をもたらす害虫。2015年、奄美大島でミカンコミバエの侵入が確認され、緊急防除が行われ、果実類の島外移動が禁止されました。 作ったものが出荷できない。哲さんは、このとき初めて農業を辞めようかと思いました。
「だけど、辞めて何をする?」
自問自答し続けました。
結局、自分にできることは農作物を生産することだけ。
以前は内地からの注文がほとんどでしたが、それまでの方法を大きく変え、本土に出荷するのではなく地産地消に切り替えました。SNSを使い、地元のスーパー、レストラン、個人に向けて配達するようにしたいのです。
この転換が功を奏し、今では島内からたくさんの注文をいただくようになりました。
「忙しくはなったけど、それ以上に楽しくなった。お客さんから直接『ありがとう』と言ってもらえるのが嬉しいね。島には小売店がない集落も多い。なかなか買い物に行けない高齢の方から感謝の言葉をもらうことが嬉しい。」
最近では島の若い人も無農薬の野菜に興味を持ってくれ、ニーズはどんどん増えています。
これからも島の野菜を守り続けていく
楠田さんは1991年から島での農業に携わっていますが、昔といまとでは状況は大きく変わったと言います。
農作物の生産量自体が大きく減っていること。
たとえば大根。冬場の一番収穫量が多い時期では、昔は毎日2,000本ほど市場に卸されていました。しかし、今は100本も卸されません。
生産者の高齢化が進み、収入も減っているので農家になる人が減っていくのだと。
また、消費者自体の「島野菜離れ」も原因のひとつだと指摘します。
「若い世代の人たちは、ニガウリ食べないし、へちまも冬瓜もフダン草も食べない。あのおいしさを子どもの頃に食べとかないと年とってからは食べられなくなる。」
野菜を作り続け、島の野菜を守っていくことが自分の役割だと哲さんは話します。
島の野菜は、いわば本来の野菜の姿。
たとえば普段わたしたちが買うきゅうりは、市場のニーズに合わせて育てられているのでシャキシャキして甘く歯応えがあります。
昔ながらの島きゅうり(島瓜)は少しクセはありますが、煮物や酢の物など何にでも使える万能きゅうり。島の人たちが昔から食べてきた多様な島きゅうりレシピがあります。
奄美大島の自然あふれる環境で育ったくすだファームの野菜たち。そのままの野菜の味を楽しんでみませんか。
文・写真:田中 良洋